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エスニックなあちき画像♪そして新居?の間取り・・・
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宮城県入り(3日目)
故郷の宮城を18歳で離れてからこんな長いこと滞在したのざーすけどやっぱり故郷の香りや景色は心地よいもんですわね
ヲネーであることがバレてしまい家出同然で故郷を飛び出し母に頼らず自力で生活設計をたてるべくお店のママにウリ専に
AV女優(ヲネー)れた仕事も多々してきた人生だけどこの歳になって故郷の良さを知るだなんて遅すぎな感じよね

宮城入りして3日目も早起きして小娘たちモーニングおままごとからのスタートでしたわ

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ひゃだ 女の子同士のお人形さんなのにラブ注入してるぅ〜
乱れ髪具合いもアレンジしてあげたんざますけどリアル感でてませんくて

らかなお子さまにこんな遊び教えちゃあかんよねぇ〜 反省
でも今問題にもなってりゅ地震の恐怖からおままごと中に急にお子ちゃまたちが地震だ〜と騒ぎながら家をグラグラ揺らし
お人形さんが崩れていくのを眺めている姿にはゾーっとしちゃったわ
それだけ心の中に大きなとなり植え付けられてしまってるんでしょうね

この日は余命数ヶ月の癌の父が食欲も今ではスッカリなく体力が弱る一方なので食べたいものはと聞くとピザが食べたいと言って
たんで震災で石巻市にはないとのことで仙台で買って届けましたの

それも指定の店があってピザハットじゃないとイヤと駄々をこねる始末で
もし母が生きていたならケツ蹴り上げられてるんじゃないかしらとおもいつつ届けてあげたんだけど食べる食べる
あちきの昼の食事のうな重も食べるしお蕎麦も食べるしであんたホンマ明日から再入院なのってほどの食べっぷりざましたわ
まっ・・・後何回好きなもんを食べれるかもわからないし一緒にこうして食事することも早々はないでしょうしね


父も食事をし落ち着いたのを確認した後にまた仙台へとUターンし女友達がよく行くAsian Voyageさんに行ってきたんだけどね

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スッカリ女友達とお店の店長さんや店員さんにおだてられモチ上げられ感化されてもうてイメチェンしちゃいましたの
コレも着てみてコッチも似合いそうよと時間の過ぎるのも忘れ一瞬でもしみから開放されたざますし
あっちゅう間に上の画像のように仲良くさせて頂きコレもヲネーならではの特権なのかしらね

初級者でもエスニックファッションが楽しめちゃうアラジンパンツに色やかなタイダイ柄の着心地も抜群のカシュクールベストで
もうあちきもアジアンヲネーに変身よん
まっ・・・元々南国系の顔立ちざますし桃のようにプリケツ自慢のあちきなんでこの手のファッションも着こなせちゃうのよね

エスニックファッションって体験なんざますけどこんなに着心地いいんざますのね
になってしまってウォークインクローゼットにありゅ自慢のお洋服たちを全てエスニック調にしちゃおうかとおもってますの
殿方にもハマることないあちきをココまでにしちゃうだなんておソルべしエスニックファッション

ソロソロ宮城県記事も飽き飽きでしょうけど残すこと4日目の記事と上のイメチェンしたあちきの別テイク画像の
モザイクなし画像をUPするのみなんで嫌々でもお付き合いくださいましね
そしてモザイクなし画像の記事は暗証番号を入力しないと見れない設定にさせてもらうんで暗証番号知りたい
ってお気の毒な方はコメント欄に暗証番号教せぇ〜ろ〜こりゃ〜と書き込んでおいてくださましね・・・・

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| ■東日本大震災(母の死)■ | comments(66) | -
宮城県入り(2日目)
お泊りさせて頂いた女友達の家でお目覚めの2日目は昨晩ワイン1本空けたってのに早朝6時には起床したわ
だって女友達が朝食を作ってくれててその美味しそうな香りにわれてしまって・・・
でも2児の母としてキチンと日常のことをこなしつつ勉強しながら将来の計画を立ててるなんて偉いよねぇ〜

その健気な姿に母の若かりし頃を重ねてしまい今こうして女帝気質のあちきが何不自由なく過ごせてる有り難味を実感したわさ

朝食を済ませ皆でお墓参りもかねて高速をぶっ飛ばし仙台→石巻へと入り母が被害にあった住居にて大家さんと待ち合わせ
母の遺品を受け取りに行くも1本道を挟んだところは復興の兆しも見えやかさを取り戻しつつありゅけど母の住んでたところは
まだまだ震災の跡も濃くあの日のまま時間がSTOPしていりゅ状態でした。
大家さんも神奈川に避難していて偶然この日に宮城入りしてたようで会えたことが神がかりで・・・また母が動いたのかしらね

その遺品にはあちきが去年送った母の日のプレゼントや写真嫌いでこの世に1枚しかないお爺ちゃんの写真も出てきてコレは母が火葬の際に
一緒に入れてくれと言ってりゅのかな〜とおもいお婆ちゃんの写真と一緒に入れてあげたんざますけど・・・
あちきも忘れていた思い出の写真(七五三)も出てきたんざま〜すの

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ひゃだ何処のボンボン君なのってほど当時にしてはオサレじゃないのよあちきったら

写真じゃないんだぁ〜とおもったお人は

アルバムは出てこず津波の被害で傷んだ写真1枚だけだけど母にされて育ったの1枚なので大事にしなきゃよね
この場所を離れりゅときに宮城県沖地震(震度5強)がありパニくったけどお墓参りに向かい女友達に愛娘ちゃんたちもお手伝いしてくれて
お墓の掃除をし傾いてた墓石もなおし合掌

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海水にのまれた場所なので傷んだとこも多く枯れ草が手に刺さる痛みも忘れ無我夢中だったけどお墓参りができ母も喜んでくれてるかな
4ヵ月もの間誰も来ず荒れ放題となったままでご先祖さんゴメンね

雨もポツリポツリしてきたので車に乗り父を迎えに行きながら思い出の場所をたどってみましたの
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この場所は母が離婚し新しいお父さんだよと知らぬ男を連れてきて一緒に暮らすはめになった家で
33年前に宮城県沖地震(M7.4)を体感しはじめて恐怖と向き合いながらも暗闇の中生かされていることをんだ場所でもあるの

離婚し貧乏で昼夜働く母の強さや寂しさ喜びを1番感じた家だったようにおもえて暫し眺めあの時を鮮明に頭に焼き付けてきたわ
多分この時母も横で一緒に当時のことを感じてたんでしょうね
前回の母の遺体確認のときと今回と合わせて母と過ごした家は全て回れたのも偶然ではないでしょうしね

火葬される前に行きたい場所に行けたことをきっとんでくれてるでしょうし火葬の際にはお爺さんとお婆さんの写真も入れてあげたし
今頃はあちらの世界でご先祖さんたちとお饅頭食べながら団欒してくれてるかにゃん

お骨になって小さくなってしまったけど自慢の母はいつまでもあちきの心の中で生きてるざますしいつも笑ってくれてます
あなたの子に産まれ苦労も多かったけど笑って強く生きることを教えてくれたことを守りあちきも前に進むから心配せんといてね・・・
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